突然変異の数
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がんになるには突然変異がいくつ必要か?


1個や2個ではがんにならない
 「がんになるにはいくつの遺伝子の突然変異が必要なのか?」は、がんの生物学の中心的な問題です。
 一般には、突然変異が1個でもできるとがんになってしまうのでは、というイメージが定着しています。また、放射線生物学の専門家でも数個の突然変異でがんになると考えている人は多いようです。
(理由は、がん死亡率の増加が時間(年齢)の5乗あるいは6乗に比例しているように見えることから、5個か6個の何か(突然変異?)が蓄積してがんになるのだろうと考えていることです。しかし、この考え方にはがんの発生に関する生物学的な内容がありません。)
 がんに必要な突然変異の数の認識が正しくないと、低線量放射線の発がん影響を理解することはできません。
 がんの発生メカニズムは「放射線の影響はあなたしだい」第2章をごらんください。ここでは、遺伝子の突然変異の数に関する科学的根拠について考えてみましょう。
参照
「放射線の影響はあなたしだい」
 第2章
 正常細胞が腫瘍細胞、そしてがん細胞(悪性腫瘍細胞)になるには、多くの遺伝子の突然変異が必要ですが、これらは一度にセットで獲得するものではなく、日常生活の中で一つずつ獲得してゆきます。しかし、突然変異ができるスピードは一定ではなく、加齢にともなって免疫機能が低下するために年齢が進むほど早くなりますし、腫瘍の段階が進めば遺伝子が不安定になりますので、突然変異ができやすくなり、スピードが速まってゆきます。
 がん(罹患率、死亡率ともに)が中年以降に急激に増加するというのも(⇒2006年の年齢別がん死亡率)、このように後の方のスピードが加速されているというのが主な理由です。もちろん、それだけの突然変異が蓄積して最後のがんという状態に達するのに何十年という時間が必要であるということも理由です。

   
 がん細胞の本質
 がんの本質は、「死なずに勝手に細胞増殖を続ける」細胞ということです。これがすべてと言っていいでしょう。
 免疫機能の監視をすり抜けたり、血管を周りに新生したり、周辺に浸潤したり、他の組織に転移したり、という性質ががんの特徴であるのは確かですが、これらの性質はがんが進行するにつれて遅かれ早かれ手に入ってくる性質です。
 細胞が死なずに勝手に増殖を続けるようになると、細胞分裂が盛んですから遺伝子の突然変異は起こりやすくなりますし、遺伝子を保守する機能の変異も起こりがちです。こうなるとさらに加速度的に突然変異ができやすくなり、様々な性質が手に入ります。その中でこのような悪性化を可能にする性質を手に入れた少数の細胞も現れ、やがてそれが優勢になり(なぜならこれらの組み合わせが生体の中で勝手に無限増殖するための“最強”の性質だからです)、がんとして診断されるようになるのです。

 つまり、死なずに勝手に細胞増殖する細胞ができてしまうと、がんになるのは時間の問題と言えます。
 どんな人のがんでもみな非常に似通った性質を持っていますが、遺伝子の突然変異という意味では極めて多様で、(ある程度の確率で、共通して見られるものもいくつかありますが、)同じ遺伝子の突然変異がセットでできてそうなっているわけではありません。がん特有の性質は、遺伝子の突然変異のいろいろな組み合わせで可能になるようで、たまたまそのような性質になった場合にがんとして問題になるとも言えるのです。

どんな遺伝子がターゲットか?
 遺伝子が突然変異を起こした結果、それからできるたんぱく質が異常な働きをしたり、働かなかったりして、細胞が少しずつがんに近づいていきます。突然変異を起こすと問題になる遺伝子というのは、「細胞の増殖(分裂)をコントロールするための遺伝子」、「細胞環境とコミュニケーションする遺伝子(細胞社会の支配を受けないようにする遺伝子)」、「悪性化(血管新生や転移など)を可能にする遺伝子」など様々な遺伝子です。がん細胞が持っている能力(異常能力)はリストアップするといくつになるか知れないほどに多いのですが、それぞれひとつの遺伝子がひとつの能力に対応しているとは限らず、ひとつの遺伝子でその下流のいくつもの能力を獲得できる場合も少なくないようですので、がんになるために必要な遺伝子の突然変異の実際の数は、がん特有の性質の数より少なくて済むようです。
 突然変異ができて問題になる遺伝子は、がん遺伝子とがん抑制遺伝子です。これらは主に細胞分裂をコントロールしているたんぱく質の遺伝子です。

がん遺伝子  正常細胞をがんに近づける方向に働く遺伝子です。具体的には、増殖のシグナルを伝達するたんぱく質の遺伝子で、がんに向かうには、これが正常に機能せずにどんどん細胞分裂をおこさせるような方向に(*)変異する必要があります。
がん抑制遺伝子  増殖を正しくおこなわせるために、監視役として働くたんぱく質の遺伝子です。これがこわれてしまう必要があります。 これらの遺伝子の働きなどは、「放射線の影響はあなたしだい」第2章を参照してください。

がんになるにはいくつの遺伝子の突然変異が必要か?
 がんは、数多くのがん遺伝子とがん抑制遺伝子に突然変異ができることで起こります。以下のいくつかの事実があります。

@<がん遺伝子>の突然変異は、少なくていい
 正常細胞の増殖は生体(細胞社会)によってコントロールされています。そのコントロールは、生体の中枢機能からおこなわれる場合もあるし、それぞれの部位の細胞集団の中でおこなわれる場合もありますが、とにかく、細胞側から見れば、自分の判断で細胞分裂を起こすのではなく、細胞外から来る増殖シグナル(細胞分裂シグナル)を受け取って、それに従っておこなうのが基本となっています。
 それぞれの細胞の細胞分裂シグナルの伝達経路はひとつとは限りませんが、少なくともひとつの経路が活性化できれば、その細胞は分裂できるのです。つまり、がん細胞になるためには細胞分裂シグナル伝達のひとつの経路を確保できればいいのです。
 細胞分裂シグナル伝達経路の活性化には、いくつものたんぱく質が関与していますので、ひとつのたんぱく質の異常だけで経路を活性化できるとは限りませんが、同時に異常が起こらなければならない場合には、起こりにくくなります。ひとつのたんぱく質の異常で活性化できれば、それに越したことはありません。現在わかっているがんたんぱく質の機能の多くでは、一つの異常が細胞分裂の活性化に結びつくような突然変異が多いようです。
 したがって、「勝手な細胞増殖を続けるための異常がんたんぱく質は、1個あるいは2個くらい必要」と考えていいでしょう。(言うまでもありませんが、1個のたんぱく質というのは、1種類のたんぱく質という意味です)

 たんぱく質の異常は遺伝子の異常によるものです。この場合、いくつのがん遺伝子の異常が必要でしょうか?
 たんぱく質をコードする遺伝子は、普通2個(母方と父方から1個ずつ受け継いでいます)あります。この2個の遺伝子は同じたんぱく質を作り出しますので、どちらか1個だけでも半分程度のたんぱく質は作られます。
 がんたんぱく質が細胞分裂シグナルを勝手に作るとしても、2個とも同じような異常が起こればシグナルは2倍になりますが、1個の異常でも増殖を続けるには十分で、がんたんぱく質のがん遺伝子は2個とも異常になる必要はありません。
 したがって、勝手な細胞増殖を続けるための異常がんたんぱく質は1個あるいは2個くらい必要で、そのためのがん遺伝子の異常は1個でいいのですから、「がん遺伝子の異常は1個か、多くても2個でいい」ということになります。

A<がん抑制遺伝子>の突然変異は、数多く必要
 多細胞生物にとっては、それぞれの細胞の増殖は極めて重要でもあり危険でもあるので、細胞分裂のシグナルの伝達経路には数多くの監視制御機能が備わっており、勝手な細胞分裂は許されないはずなのです。この監視制御機能を担うたんぱく質ががん抑制たんぱく質で、それをコードする遺伝子ががん抑制遺伝子です。
 つまり、勝手な細胞分裂が可能になるには、これらの監視制御機能が壊れるか、機能不全にならなければなりません。この事実から、「がん抑制たんぱく質は複数個が壊れなければならない」ことがわかります。
 では、遺伝子の数としては、どうでしょうか?
 この場合も、それぞれのがん抑制たんぱく質には遺伝子が2個ずつあります。もし、1個だけ壊れた場合、量は半分かもしれませんが、もうひとつの遺伝子でがん抑制たんぱく質は作られ、これでも十分に監視制御機能を発揮できることが多いようです。(中には半分になると十分に抑制できない場合もありますが)つまり、監視制御機能が役に立たなくなるには、それぞれのたんぱく質の遺伝子2個ともが壊れなければならないのです。これががんたんぱく質の場合と違っている点です。
 したがって、がん抑制遺伝子の場合には、(数はがんによって異なりますが、一番研究されている大腸がんの例や、次に述べる実験の例からも、かなりの確かさで5個以上は必要だろうと考えられます)、突然変異の数は数個の2倍で10〜12個くらいは必要だろうと考えられます。
参照
「放射線の影響はあなたしだい」
 第2章p32-p35

Bがん細胞を作る実験では
 実験的な知見は、考え方の枠組みを作るのに役立ちます。がんに必要な遺伝子の組み合わせの研究を見てみましょう。どんな変異遺伝子(変異がん遺伝子や変異がん抑制遺伝子)を組み込めばその細胞をがん細胞にできるか、という様々な実験をまとめたものです。
 まず、“形質転換”した細胞という言葉は、培養細胞(生体内でなく、シャーレで培養している細胞)で細胞にがんらしい変化が起こった場合を言います。これで分かるのは、細胞ががん細胞らしい増殖のしかたをするかどうかだけで、形質転換しても、それだけでは生体内でがん細胞のようになるかどうかは分かりません。

1) マウスの不死化した培養細胞に変異遺伝子を組み込む
2) マウスの正常な培養細胞に変異遺伝子を組み込む
3) マウスの体の細胞すべてに変異遺伝子を組み込む
4) ヒトの正常な培養細胞に変異遺伝子を組み込む

1)不死化した培養細胞でとにかく勝手に増殖する細胞を作る実験では、たとえば、変異ras遺伝子を組み込むだけで形質転換(細胞ががんのような性質を得ること)が起こることがわかりました。しかし、不死化した細胞というのは、すでにがん細胞に必要な異常が起こっていることですから、これでは、必要なものがわかりません。

2)そこで不死化していない正常な培養細胞でおこなったところ、たとえば、代表的ながん遺伝子である異常ras遺伝子+異常myc遺伝子や、異常ras遺伝子+異常E1A遺伝子という組み合わせで形質転換が起こりました。
 つまり、二つの異常遺伝子によってがんのような細胞ができました。この形質転換した細胞をマウスに注射するとそこで腫瘍として成長し、生体でも腫瘍として生き続けることがわかりました。しかし、これらの変異遺伝子で、実際の生体で自然に腫瘍が発生するかどうか分かりません。

3)受精卵の段階で変異遺伝子を組み込んでおくと、体のすべての細胞にその変異遺伝子を持ったマウスが生まれます(トランスジェニックマウス)。これでその異常遺伝子の生体内の細胞をがん化するかどうかがわかります。
 異常ras遺伝子、異常myc遺伝子ともに、ある時間が経つとマウスには腫瘍が見られるようになりました。たしかに腫瘍が形成できることはわかりましたが、時間がかかりました。次に、異常ras遺伝子と異常myc遺伝子の両方を同時に組み込んでみると、短い時間で腫瘍が発生し、培養細胞と同じように効果は確認されましたが、それでもがんになるまでに時間がかかります。つまり、これらの遺伝子だけでは細胞をがんにできるわけではなく、マウスが生きている間に起こる何か別の異常が追加されなければならないことがわかります。
 マウスの細胞に関してはここまでわかりました。

4)次に、マウスの細胞でなく、ヒトの細胞で同じことをおこないましたが、ヒトの正常細胞の場合には、異常ras遺伝子+異常myc遺伝子や、異常ras遺伝子+異常E1A遺伝子という組み合わせでは、マウスのように形質転換は起こりません。ヒトの細胞の場合には、マウスの細胞とは違って、そう簡単には腫瘍ができないのです。

5)ヒトの正常な培養細胞に、いろいろな変異遺伝子をいろいろな組み合わせでいろいろな数を組み込む実験が数多くおこなわれ、それらの結果から、ヒトの培養細胞の場合には、形質転換するには、5個のたんぱく質が異常になるか、壊れる必要があることがわかりました。
 これらの遺伝子の数で言うと、8個あるいは9個です。こうしてできた形質転換したヒト細胞は、マウスに注射してそこで腫瘍として生きるかどうかを確認されました。(ヒトの細胞の移植は、免疫不全マウスでなければできません。つまりがん免疫もほとんど働かないマウスですので、これは本当の生体のモデルにはなりませんが)ヒトで実験はできませんので、正常なヒトの体内ではマウスと同じようにこれらの細胞が腫瘍を形成するかどうか分かりません。おそらくこれだけでは生体内で腫瘍となるにはまだ足りないのは間違いないでしょう。

 実験上では、なんとかヒトの細胞で腫瘍をつくることができ、それには遺伝子8〜9個の変異が必要だったということですが、これらの結果から、次のことが言えます。
1) ヒトの細胞はマウスの細胞とは桁違いにがん化しにくい
2) ヒトの体内では変異遺伝子の数は8〜9個よりもっと必要なのは間違いない
3) さらに、腫瘍として成長できるかどうかしか見ていないので、がんと呼ばれるようになるには、この先さらに遺伝子が変異する必要がある。

実際の人間の細胞ががんになるには、いくつの突然変異が必要なのか?
 実験的には、5個のたんぱく質の異常(そのうち1個はがんたんぱく質、・・・)でヒト細胞をがんのような細胞にできるということがわかりました。
 同様のことがヒトでも起こっていると仮定すると(ヒトの生体はマウスのよりはるかに高度のシステムが完備されていますので、おそらく異常細胞の生存が許されるにはさらに多くの異常が必要だろうと想像できますが)、体内で勝手に増殖を続けることのできる状態の細胞ができるまでに5個の異常たんぱく質が必要だとなります。遺伝子の数にすると、この実験の場合には、8〜10個となります。
 ところが、この形質転換した細胞は、がん細胞としては未熟であって、この先、様々ながん細胞特有の性質を獲得しなければなりません。この先変異しなければならないたんぱく質は細胞増殖に関連したものでも、また細胞分裂を制御するような機能に関連したものである必要はありません。がんの悪性化した性質を可能にするたんぱく質です。(したがって、がんたんぱく質やがん抑制たんぱく質とは別の範疇で表現するべきでしょう。)
 しかし、これらの異常たんぱく質は、がんと呼ばれるためには必要なものです。免疫監視を逃れなければそれはがんとして発展しませんし、たんぱく質分解酵素によって進路を切り開いて周囲に浸潤し、またリンパ系に流れ込んで転移できなければ怖いがんにはなりません。
 こうした性質の獲得にはもちろんたんぱく質の異常が必要です。それがいくつになるのかは現時点では分かりませんが、数個では収まらないのではないかと思われます。

 これ以上は想像の世界でしかありませんが、現実的は範囲で言えることは、突然変異はがんたんぱく質1個あるいは2個、がん抑制たんぱく質数個、そして悪性化性質のたんぱく質数個くらいは最低必要だろうということです。
 これらのたんぱく質をコードする遺伝子の異常の数ということになると、全部合わせて10数個くらいでしょうか。ここまでは、事実から言えるかなり確かなことだと思われます。私見では、それ以上の数になるだろうと考えています。

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