| 「生物学的個人リスク」の意味としくみ |
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私たちが本当に知りたいこと 病院で放射線検査を受ける私たちが本当に知りたいことは、ただひとつ。検査で放射線を受けた自分はがんにならないか、検査を受けた子供ががんや白血病にならないか、その可能性はどれくらいか、です。 そこで、私たちは聞いてみます。 (患者)「先生、大丈夫でしょうか?」 先生たちは、いろいろに答えるでしょう。 (先生)「計算では、あなたが将来がんで死亡する可能性は0.05%です。しかし、こんなに小さな確率ですから、心配することはありません。」 (患者)「一般に、どんなに少なくてもがんになる可能性はあると言われていますが、検査の放射線では、がんになったというデータはありませんので、心配ないでしょう。」 (先生)「何しろ、放射線検査を受けなくても、普通に生活をしていれば、30%の人は普通のがんで死亡するのですから、それに比べれば、放射線のがんの0.05%というのは、ゼロのようなものですよ。そんな小さなことを気にしていたら、生きて行けないでしょう。」 (患者)「普通のがんは普通のがん、放射線のがんは放射線のがんでしょう。将来普通のがんにならない場合でも、今回の検査が原因で、放射線のがんになるかもしれないわけですから、小さなことではありません。」 (先生)「可能性が0.05%というのは、あなたが今回のような放射線検査を2万回受けた場合に、1回がんになって死亡するかもしれないということで、非常に小さい確率ですよ。また別の言い方をすると、2万人が同じ検査を受けた場合にその中の1人ががんになって死亡するということです。無視してもいいくらいの確率ですよ。」 (患者)「じゃあ、今回が2万回のうちの“当たり”の1回かもしれない訳ですね。それから私がその2万人の中の不運な1人かもしれないのですね?やっぱり、今日の検査が原因で将来私ががんになるかも知れないのですね?どんなに確率が小さくても当たるときは当たるわけですから。私が当たらないという保証がありますか?」 (先生)「それは分かりませんが、考えてみてください。2万人ですよ。」 (患者)「でも、その2万人の中でがんになって死亡する人が誰か分らないじゃないですか。何万人でも同じです。確率は低くても当たる人は現実にいるわけですから。それとも放射線のがんにかかりやすい人とか、かかりにくい人とか、いるのですか? 」 (先生)「そうですね、いろいろ研究されています。遺伝的に放射線感受性が高い人がいることが分かっていますが、それは特別で、普通はわかりません。おそらく関係ないでしょう。」 (患者)「私がどうか、わからないのですね?」「それから、私の親戚には乳がんになった者がいて、乳がんは家系的なものがあると言われていますので気になっているのですが、先生のお話では放射線の場合には他のことは関係ないのですね。遺伝的な影響は関係ないのですね。」 (先生)「いや、そこまではどうかちょっと分からないですが、私は少しの放射線は大丈夫と言おうとしているだけで、遺伝的な問題は言っていませんよ。」 (患者)「それから、私はたばこも吸いませんし、お酒も飲みませんが、そんなのはどうですか?健康でも不健康でも放射線の影響は同じなんですか?」 (先生)「よく分かりませんが、一般には関係ないと思います。」 (患者)「??」 しかし考えてみれば、病院で何かの病気の診察をして「一般にこう言われていますから、あなたの場合もそうだろうと思います。」というようないい加減なことを言う人はいません。一般の話は単なる知識であって、現実的具体的にその人の場合はどうなのか、という評価ができなければ診察の意味がありません。 放射線の場合の影響がはっきり分からないからといって、安易に考えているのかも知れません。“がんで死ぬかもしれない”というような、患者にとっては病気の診断と同じくらい重大な事柄に関して、一般論などは全く意味がないことは、病気に置き換えてみればよく分かります。 病気にせよがんにせよ、ひとりひとりの体の中で起こることは一般論では済まないはずです。 知りたいのは私たち個人のリスク これまで私たちが知ることができた放射線の影響というのは、すべて集団の疫学データの解釈(集団のリスク)にすぎません。放射線を受けた集団の調査で、その後のがん死亡率(集団全体の人数に対するがんで死亡した人数の割合)が対照群(被ばくしない一般人)のがん死亡率より高くなっていると、「放射線被ばくはがんになる危険性がある」と結論したり、ある線量までは有意な増加が見られないというデータがあると、「少しの放射線ではがんになることはない」と結論しているに過ぎません。これはすべて集団全体のことであって、その中のひとりひとりがどうなのかはわかりません。 過去のある調査の集団全体の結果がこうだったからと言って、それが私たちの集団に当てはまるのでしょうか?それが私たちひとりひとりのことになるのでしょうか?あなたが被ばくしたときの結果になるのでしょうか? 放射線防護では、“全体として”どれくらいの被害が出るのかという全体(集団)のリスクが重要なのですから、調査の結果は役立つかもしれません。しかし、もし“ひとりひとり”に被害がでるかどうかという話になると、全く別の問題です。そして、私たち一般人にとって重要なのはこのひとりひとりに対する放射線の影響、つまり個人のリスクなのです。 “どんなに少しの放射線でもがんになる可能性はある”とか、たとえば“20mGyまでは影響はない”と、言葉の上だけで漠然と考えているうちは、問題になりません。“人間なんてみんな似たようなものじゃないか、だからみんなそうなんじゃないか”というくらいで結構でしょう。しかし、先の会話のように、私はどうか、その人はどうか、ということを真剣に考えるようになると、とたんにぼろが出ます。単に言葉だけ、概念だけで分かったような気になっていただけで、具体的、現実的には何も分かっていないことが明らかになるのです。 たばこやお酒は本当に関係ないのでしょうか。体質とか食べ物は本当に関係ないのでしょうか? 生体のできごとは具体的 もう少し現実的に見てみましょう。 今の問題は、放射線による発がんです。放射線を受けた場合の結果に個人差があるのかどうかですが、放射線を受けて、それが細胞の中で様々な反応をし、細胞のいろいろな応答があって、長い年月ののちにがんに結びつくという具体的な道筋があります。 それぞれのステップと全体の進み方に、ひとりひとりの違いがどれほどあるのかを知る必要があります。ひとつひとつのメカニズムは多くの酵素やその他の生体分子が働いて進めるのですが、酵素の働きはみんな同じかどうか、そして全体としてのがんのできかたはみんな同じなのか、を具体的に考えなければならないのです。 本当に日本人と外国人で違ってくるのか、食べ物で違ってくるのか、親戚にがんになった人がいる場合には、違ってくるのか、これこそが本当に知りたいことではないでしょうか。“データではこうでした、だから一般にはこうではないかと思います”というような適当な話や、一般にはこうなるはずだという非科学的な決めつけは聞きたくないでしょう。ここで問題なのは、ひとりひとりの具体的、現実的な個人です。全体で良い作用があろうとなかろうと、一般的にはどうであろうと、そんなことはどうでもいいのです。 このような現実の場では、あなたが読んだり聞いたりした疫学データ、動物実験のデータの話がどうだったかは、通用しません。 統計処理というもの 疫学データなどで、少しの放射線によって、全体では良い作用があるような結果になったからと言って、その集団のすべての人に良い作用があるということになるのでしょうか?作用がない人も、害のある人もいるかもしれません。実際のデータのひとりひとりの値は、たいてい大きくばらついています。だいたいはある範囲にあっても大きくはずれている人もいます。統計処理ではそのような少数派は無視されますので、実態は分かりません。しかし、だからと言って“そのような少数の人々はともかく”とは言えません。なぜなら私たちひとりひとりにとって重要なのは、個人のことですから。 例えば、全体の2/3の人に良い作用があり、 1/3の人に害があったとしても、全体としては良い作用があることになるかもしれません。また、バラツキが大きい場合には、良いか悪いかの有意な傾向があるとは判定されず、“影響なし”になってしまいます。データでは、このような個人の値のバラツキは標準偏差(SD)や標準誤差 (SE)の幅として表されるだけで、その内容はわかりません。これが疫学データの統計処理というものです。 このような疫学データがそのままで使えるのは、“全体の様子”だけが分かればいい場合です。例えば、ある国の原子力発電所従業員の被ばくの健康影響や、診療放射線技師の健康影響など、白書といわれるような書類上の数値を求めるときです。そして、いわゆる放射線防護上の行政的な手続きの場合です。 日本人男性の平均寿命が78歳だという統計データがあります。しかしそれによって自分の寿命を予測する人はいません。このような統計データの意味が分かっているからです。国民全体の実際の寿命から統計的計算をした場合に78歳という数値になるということであって、このデータの中の実際の個人の寿命は、0歳から108歳くらいだということはみんな知っています。 同じように、放射線被ばくの影響も個人のデータを集めて、統計的な処理をすると、私たちが疫学データで見るような統計的な数値(平均値や中央値、標準偏差、有意差、信頼性)は出てきますが、個人の実際の影響は見えません。ひとりひとりの影響は問題にしないのが、全体として見る統計データであり、問題にしないでいい場合にだけ使うことができるのです。 つまり、重要なのは、私たちは何を知りたいのかです。 白書のデータや平均寿命のような国民全体のデータですか?それとも、あなたや患者などひとりひとりの個人に対する現実の影響ですか? これから放射線影響を考えてゆくに際して、この点をはっきりとしておく必要があります。一般の教科書でも、参考書でも、論文でも、この両者は区別されずに、議論されています。ですから、このように全体の統計的なデータを知りたいのか、個人の影響を知りたいのか、というように問われたこともないし、考えたこともないでしょう。 研究として机上の空論を積み上げても、学会でどんな不毛な議論しても構いませんが、現実の患者を相手にする場合には、明確な答えは出なくても少なくとも現実的に正しい事を言わなければなりません。 集団と個人 全体の統計データは個人の中での出来事を反映しているのかどうかを、もう少し考えてみましょう。 (1)工業規格品の場合 工業製品を考えてみましょう。 同じように作られているはずの製品でも、必ず不良品が現れます。1000個のうち1個くらいの割合で不良品ができる場合には、不良品ができる可能性は全体で1/1000です。そしてそれぞれの製品が不良品になる可能性は、やはり1/1000です。何しろ本来完璧に同じ製品で違いがないはずですから、どれが不良品になるかはわかりません。 この場合には、個体はみんな同じで、全体のデータ(可能性)は個体の様子(可能性)を反映していると言えます。個体すべてが“厳密に同じ”場合には、このようなことが言えるだろうというのは理解できます。 (2)実験用マウスの場合 工業製品の場合には、みんな同じということが分かりやすいのですが、生物ではどうでしょうか。実験用マウスを考えてみましょう。 体の中で起こることには、必ず組織や細胞の中のメカニズムがあります。どんなささいなことでも、無数の酵素や生体物質が働いて起こるのです。病気などの場合には、なおさら複雑なメカニズムが働いています。 実験で使うマウスでは、それぞれの体の中で同じ事が同じように起こってくれなければ、研究できません。それでも微妙に個体差があるので、多数のマウスを使って始めて、ある程度正しそうなことがわかるのです。実験用マウスは、工業製品と同じような規格化を目指して作られたものなのです。 生物でいう規格化、完璧に同じものとはどういうことでしょうか。 それは、「遺伝的影響」と「環境的影響」を全く同じにするということです。組織や細胞のいろいろな機能の働きはこれら二つで決まります。したがって、外から何か同じような刺激や作用が与えられたとしても、それに対して体がどのように応答するのか、どのような結果になるのかは、これら二つの影響を考えなければなりません。 実験で使うひとつの系統(種類)のマウスは、遺伝的には、遺伝子が完全に同じクローンマウスです。何千匹でも何万匹でも遺伝子は全く同じです。環境的には、生まれてから死ぬまで全く同じ環境で飼育します。ひとつのケージ(かご)に5匹くらい入れて、そのようなケージを何百個も同じ部屋に並べて、同じ食事と水を与えて、飼育します。 遺伝子が全く同じで、生活が生まれてから死ぬまで全く同じです。これは何でしょうか。これは人間でいうと、1人の人間です。(一卵性双生児は遺伝子が同じ人間ですが、生活が同じことはあり得ませんので、この場合は2人の人間なのです)つまり、マウス実験とは、何千匹を使っても、1匹、あるいは1人の人間の体の中で起こることを見ているようなものです。「遺伝的影響」と「環境的影響」が全く同じなのです。 これが生物学的な意味での、マウス実験です。 このような実験の意味があるのは、ほ乳類の体の中で起こることの“一般的な内容”を知ることができるからです。つまり機能の働きの“程度”や応答の“程度”を知ることが目的ではなく、ほ乳類共通のメカニズムを知るためですから、例え1匹に相当するマウスであっても構いません。むしろ機能の働きの程度が同じマウスである必要があるのです。というのは、メカニズムが同じでも、機能の働きの“程度”が違うマウスでは実験データが大きくバラつき、何が起こっているのか分からなくなるからです。 このようなことを踏まえて考えてみましょう。 生物学的には1匹に相当するマウスを1000匹使って、放射線を照射し、その発がん影響を見るという実験の場合、放射線によって全体で5匹にがんが増加したとします。この場合、放射線によってがんになる可能性は、全体では5/1000と言えます。そして、それぞれのマウスががんになる可能性はやはり5/1000です。先の工業製品の場合のように、一匹一匹が生物学的に全く同じですから、がんになりやすさに違いはありません。したがって、どのマウスにがんができるのか分からないので、可能性はみんな同じことになり、がんになるならないは確率によって決まり、“偶然”なのです。 ところが、もし別の系統(種類)のマウスを使って同じ実験をしてみると、どうでしょう。もちろんマウスという共通の枠の中ですが、系統が違うと遺伝子が微妙に違いますので、いろいろな機能の働きが違います。放射線を受けてがんになるまでに働くいろいろな機能の働きにも差があります。そこで、別の系統では、1000匹のうち5匹ががんになるのか、2匹くらいか、50匹なのか、分からないのです。 言い換えると、これら2系統(マウス2匹に相当。人間2人に相当)のマウスは放射線の影響の大きさ、程度が違うのです。現実にそのような実験データは多いのです。 このように、一般に用いられている実験用マウスの場合、ひとつの系統のマウスだけを使いますので、すべてのマウスは何から何まで全く同じで、実験データは、集団のリスクを表していますが、同時に個体のリスクでもあるのです。工業製品と同じです。 (3)人間の場合 さて、人間の場合はどうでしょうか。 遺伝的影響に関して、人間という枠で考えれば、みんな基本的には同じ約2万5千個の遺伝子のセットを持っています。しかし、それはあくまでも“大きな枠組みでは”ということで、現実にはひとりひとりの顔が違っているように遺伝子の多くの部分で微妙に違っています。ある遺伝子の数が多かったり少なかったり、長かったり、短かったり、塩基が一つ二つ違っていたり、と結構違っているのですが、みんな一応人間の枠の中に入っているということです。このような遺伝子の微妙な違いがあり、それが個性のもとになります。 環境的影響は、生活環境、食生活、社会環境などあらゆる外界からの影響ですが、言うまでもなく、ひとりひとり完全に違っています。 つまり、人間の場合これら二つの影響はひとりひとり違っているのです。したがって、体の中で何かが起こるとしても、その程度や起こり方はみんな違っているのです。このことは私たちが日常でよく経験することですし、科学的には疑問の余地はありません。病気の罹りやすさは、言うまでもなくみんな同じではありませんし、薬の効き方の個人差などはこのことを物語っています。 マウスの実験データは、全く同じ個体が集まった集団が放射線を受けた場合の結果ですが、人間の疫学データは、同じでない個体(個人)が集まった集団が放射線を受けた場合の結果なのです。この本質的な違いを忘れないでください。 マウスのように全く同じ個体が集まった集団では、生物学的には区別できませんので、みんなが同じ可能性を持つことになります。集団のリスクは個体のリスクでもあるのです。しかし生物学的に機能の働き方が異なる個人が集まった人間の集団では、がんのような生物学的な出来事ではみんな同じ可能性にはならないのです。がんのなりやすさは、ひとりひとり違っているのです。 疫学データでは見えないもの 疫学データというのは、放射線を受けてその集団のひとりひとりに起こるいろいろな結果を、みんなまとめて統計処理したものです。そこにはもう、ひとりひとりの個人の結果がどうだったかをうかがわせるものはありません。疫学データからは、ひとりひとりの放射線の影響は分からないのです。 あなたの知りたいのは、あなたや私のような個人の放射線の影響ではありませんか?それは疫学データの結果からは分からないのです。 ところが、直線仮説でもしきい値でもホルミシスでも、すべて疫学データの結果から“あなたも”こうですよと言っています。集団の疫学データから個人の結果を勝手に推測しているのです。 もしあなたが患者に何かを言うときに、その根拠が疫学データやマウスの実験データにあるとすれば、あなたは患者を“実験マウス並み”に扱うという間違いを犯しているのです。 疫学データが表しているものについてもう少し具体的に見てみましょう。 放射線影響協会から日本の原子力発電関連施設の従事者の健康調査の第3期の結果が発表されています。 仕事で受けた放射線の合計量が多い人が、食道がんと肝臓がんになりやすいようだとわかりました。ここまでなら、やっぱりと思うだけでしょう。しかし、合計線量の多い人の中にもいろいろな個人がいます。個人の内容を考慮してみると、どうでしょうか。 例えば、喫煙や飲酒、あるいは肥満の度合いや食生活、運動習慣などみんな大きく違っています。このようなことは結果に影響しないのでしょうか。肝炎ウイルスの感染は影響しないのでしょうか。このようなことがひとりひとりの細胞の中の酵素の働きや細胞の機能に影響し、結果に影響しないのでしょうか。ひとりひとりの内容は関係なく、放射線を受けると結果はみんな同じなのでしょうか。 ここでの問題提起は、「放射線の発がん作用において、“個人のいろいろな内容”は結果に影響するかどうか」です。生物学的に異なる私たち人間ひとりひとりでは、生物学的な出来事の程度や起こり方は違っています。しかし、問題なのは、放射線による発がんの場合もやはりそうなのか、それとも、放射線の場合はどんな人でも関係なく、同じ可能性になるのか、ということです。 私たち個人に対する放射線の本当のリスクを知るには、放射線を受けてからがんになるまでの複雑なメカニズムにおいて、私たちひとりひとりの個人の生物学的な内容が影響するのかどうか、をひとつずつ検討してゆく必要があるのです。 しかし、あなたは一般論として答え、「・・・と言われています」「・・・とされています」「・・・ということになっています」というような一般論の言葉を必ず使うでしょう。患者はそれを敏感に感じ取って、結局どんな答えを聞いても不安は解消されません。 あなたが一般論で誤魔化さなければならない理由は、あなた自身が納得できていないからです。マニュアルにあるのは疫学データから得られた数値の話と放射線防護上の正当化だけで、納得できるような生物学的な説明がないからです。 私たちはどこまで分かっているのか、そしてどのように推測できるのか、がはっきりと生物学的に論理的に納得できれば、少なくとも逃げる必要はありませんし、患者には自信を持って説明できるでしょう。放射線の発がんリスクを理解する上で、最も根本的な土台となるのが、この集団リスクと個人リスクの違いなのです。私たちはこれらを区別せずに使うという間違いを犯してきました。 放射線の“現実の影響”を生物学的に突き詰めると、結局「個人リスク」に行き着くことになります。そして私たちが知りたい唯一のことは、この「個人リスク」なのです。 |
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