疫学データの意味
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疫学データの生物学的な意味 目次

I. はじめに
II. 低線量放射線に発がん影響はあるのか?
 1.科学的事実
 2.こういうことにしておこう
 3.問われたことのない大前提
III. 放射線発がんの生物学
 1.生物学の現実性


疫学データ
 被ばくによるがんリスクは、主に広島長崎の原爆生存者の健康調査から求められています。疫学調査と呼ばれますが、被ばくした集団と被ばくしない集団のがんの発生の割合の比較によって求められます。
 調査が行われているのは、被爆者のうちの12万人にもおよぶLSS(Life Span Study)コホートと名づけられた人々です。爆発時に居た場所と状況(爆心からの距離、建物などの遮蔽物の有無など)から、それぞれの個人の被ばく線量が求められます。そして被ばく後現在までのがん発症やがん死亡、その他の病気などの健康状態が記録されます。

 がん発症の場合で考えましょう。
 被ばく線量とがん発症の関連性を明らかにすることが目的です。原爆では人々は無限大からゼロまでのあらゆる線量の被ばくをしましたので(*)、被爆者の被ばく線量はひとりひとり異なっていますし、非常に広い幅の線量になっています。 「医療被ばくの放射線」
自然放射線と原爆放射線
参照

 表1では、(実際のデータの値ではありませんが)説明のために値を簡単にしています。
 たとえば、平均10mSvの被爆群では、1000人中501人ががんになりました。一方対照群では500人です。(男性では約半数ががんになります)この比較から、被爆群では1人が多くがんになったことがわかります。そしてこの差は被ばくのせいだろうとして、平均10mSvの被ばくでは1000人中1人が“被ばくのせいでがんになった”と考えます。
 私たちは被ばくしなくても半数(男性)ががんになります。そして、低線量放射線の場合には、がん細胞をどんなに分析してもそれが放射線による作用のせいであるかどうかということは絶対に分からないため、このように被ばくした人々としない人々の間の“差”でしか影響を見ることができないのです。
 この手法を見ても分かるように、被ばくによるがん(被ばくが関係しているがん)というのは、普通の(被ばくしなくてもなる)がんの上に“足される””上乗せされる”形で現われるのです。(*しかし、あくまでも、“放射線が寄与してできる”がんであって、“放射線によってできる”がんというようなものはありません。)

 この表の例では、平均10mSvでは1000人中1人、20mSvでは1000人中2人、30mSvでは1000人中3人となっています。これらの値をグラフにすると、よく目にする被ばくによるがんリスクの図になります(図1)。
 実際の原爆生存者のデータから求められた図2の結果も、いくらか波打っていますが、かなり良い直線性を示していると言えます。

疫学データが示しているもの
 さて、このようなデータから何がわかるのでしょうか。そして、どのような理由でこんな直線になるのでしょうか。
 私たちは直線仮説を知りすぎていますので、当然のように、被ばく線量と遺伝子の傷害や突然変異の起こりやすさに相関があるから、というような説明をしてしまいますが、本当にそれが理由なのでしょうか?
 ここでは、先入観なしに、事実としてデータが何を意味しているのかだけを考えてみましょう。

*当初は、数百mSv以下のデータの信頼性がなかったので、ここに示したような低線量では直線性があるのかどうかはわかりませんでした。しかし、昆虫やその他の小動物の基礎データや細胞実験、そして単離したDNAなどを用いた実験から、線量とがんの発生は比例関係にあるだろうと推測して直線仮説を作り上げました。

 原爆データは、60年にもわたって日米共同でおこなわれてきた調査の成果です。しかし、特別な調査がおこなわれているという訳ではありません。
 一言でいうと、
「被爆した人々の集団(たとえば、平均線量が10mSvの人々の集団や20mSvの人々の集団など)の中で何人ががんになったか」
を調べたものです。これ以上の意味はありません。先走って生物学的な意味を勝手に付け加えたりしないようにしましょう。
 表1の場合で見てみると、10mSvの人々の集団では1000人中1人が“被ばくのせいで”がんになったという結果です。
(放射線だけでがんになることはありませんが、放射線が寄与してがんになることはあります。“被ばくのせいでがんになる”あるいは”被ばくによるがん”というのはそのような場合を言います)

 そして、20mSv被爆した集団では2人、30mSv被爆した集団では3人が被ばくのせいでがんになりました。事実はこれだけです。
 この事実をどのように解釈できるか考えてみましょう。
「1000人の集団の中には、10mSvの被ばくでがんになる人が1人居る。20mSvの被ばくでがんになる人が2人居る」

というのが事実だけを抽出した表現です。
 この“がんになる人が居る”という事実の内容が問題で、いろいろな解釈が可能です。

1)確率的な考え方(直線仮説的解釈)
 この場合の“がんになる人が居る”というのは、1000人のうちの誰ががんになるかわからないけれど、がんになる人が1人見つかる、ということです。
 1000人の被ばくの影響の受けやすさ、起こりやすさは同じで、何かが起こるときは確率的に起こる、というのがこの考え方の本質です。
 10mSvの被ばくは、1000人中1人をがんにするだけの発がん作用があると考え、誰にでも1/1000の発がんリスクがあることになります。
 被ばくがすべての人に同じような発がん作用の圧力をかけ、10mGyでは確率的に1人ががんになり、20mSvでは2倍になるのです。
 生物学的に説明するなら、被ばくすると、すべてのヒトの細胞の中で同じことが起こり、同じようにがんの可能性が生まれ、そして、確率の上で偶然にその中の1人か2人に実際にがんができる、となります。

2)選択的な考え方
 “がんの可能性がある”と言われると誰もが自分のこととして怖がることから分かるように、私たち一般人は被ばくの影響から誰も逃れられないという印象を持っています。
 しかし、ある集団で1人ががんになってしまったという結果に対しては、それは放射線に弱い人かな、それとも他の何かの理由があったのかな、と考えたりもします。確かに、このような考え方も成り立つわけです。

 この1000人の集団で1人だけ“がんになる人が居る”というのは、
 「その1000人の集団には、“10mSv被ばくするとがんになるような人”が1人居た」に過ぎず、「その集団には、20mSvの被ばくでがんになるような人が2人居た」
ということかもしれません。
 つまり、1000人のうちの1人、2人というのは、“確率から計算で出てくる数”ではなく、実際に“そのような状況にある人”の人数なのかもしれません。

 疫学データが示しているものは、単に集団の様子です。それをどのように解釈し、どのような生物学的な意味を見出し、どのように私たちの実生活に役立つ有意義な知見にするのかは、また別の問題です。
 さて、私たちに必要なのは、どちらの解釈でしょうか。

疫学データの解釈の問題
 東京都では約28%の人が花粉症です。これを全体の統計的な数字として見れば、東京都の花粉症患者の割合です。
 調書や報告書、白書などに記載される単なる事実です。これが疫学データから分かるすべてと言っていいでしょう。
 しかし、これではただの数字でしかありません。
 実は私たちにとって、全体でどれくらいの人が花粉症なのかは、ほとんど現実的な意味がありません。私たちにとって唯一の関心事は、私たちが花粉症になるかどうかです。したがって、この28%がどのような人々なのかという観点で見ることで、単なる白書用の統計的数字が何らかの現実的な意味を持ってくるのです。
 そこで、花粉症の場合、どのような人々がなるのか、なりやすいのかが問題です。
 何らかの生物学的な理由があって、人々の花粉症のなりやすさが違うときにはこの28%というのは、そのようななりやすい理由を持った人々の数であるということになるのかもしれません。また、なりやすさの理由がない場合、何らかの生物学的な理由はあるものの我々にはそれがわからない場合などには、誰がなるのか分からない、つまり、28%の確率で誰もがなる可能性がある、となります。
 花粉症の場合は、なりやすい人となりにくい人がいることがわかっています。花粉症のなりやすさには個人的に違いがあり、花粉量と防御(Th1免疫の強さ)のバランスでその人のなりやすさが決まるということが分かっています。花粉症になる人というのは、生物学的に“花粉症になりやすい状況にある”特定の人なのです。

 放射線被ばくに関する疫学データを解釈する場合にも、同様のことが言えます。
 データそのものは単なる数字で、報告書に掲載するにはそれで結構ですが、私たちにとっては、被ばくによって誰ががんになるのか、それとも誰がなるのかは分からないのか、が唯一の関心事です。
 放射線被ばくの場合には、誰ががんになるのかは分からず、誰にでも同じだけの確率があるのかもしれません。
 また、花粉症と同じく、被ばく線量と防御(がん防御機能)には一人一人バランスがあり、花粉症と同様に、それぞれの個人の生物学的状況があり、被ばくによってがんになるのは、特別な選択がなされて、「ある線量の被ばくによってがんになるのは、“被ばくしてがんになりやすい状況にある”特定の人」なのかもしれません。
⇒(「発がん過程の生物学的個人差」参照)


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